東京愁情乱行記

怠けることに一生懸命

自由という拷問

平日だというのに、往来は行き交う人々で溢れかえっていた。大通り公園沿いの道は雪山で狭まり、大人1人がやっと通れる程しかない。踏み固められた雪道はまったく平坦でなく、氷と化したツルツルと滑る凸凹に足をとられ、歩き難いことこの上ない。さらに、所々に置き去りにされた自転車が雪に埋まっており、足下を注視しなければ危うく足をひっかけてしまいそうな具合である。雪もチラホラと降っており、あまつさえ耳が取れそうな程の冷気が身体に吹き付けてくる。

雑踏のなかで耳を澄ますと、あまり聞き慣れない方言や外国語が飛び交っている。明日から開催される「さっぽろ雪まつり」を目当てにやってきた観光客なのだろう。彼らにとっては差し詰め前夜祭といった心持ちだろうか。それでもこれほど多くの人が集まるのだから、当日はすし詰め状態で組んず解れつの雪見合戦になること請け合いである。私が最後に「雪まつり」に行ったのは、まだ小学生ですらない時分であったから、当時の記憶なぞ曖昧かつ断片的なものだ。覚えていることといったら、大人の膝のあいだをくぐり抜けながらチョコレートを買ったことと、初めて飲んだ甘酒が不味かったことくらいである。いずれにせよ、それから18年もの間行く気が起きなかったのだから、決して良い記憶ではないのだろう。そもそも、地元の人間にしてみたら、雪なんてものは見慣れているどころか見飽きているくらいであって、そんな心持ちでわざわざ雪を見る為に足を運ぶことなど、到底あり得ないのである。

さて、不世出の出不精(要するに引きこもり)の私がこうして散歩をしたのには実は訳がある。訳と言っても、これといった特別な用事があったわけではない。端的に言うと、あまりにも暇だったのである。暇すぎて肋間神経がキリキリと痛むほどである・・・

東京での引きこもり生活も甚だ退屈ではあったが、ネット環境も充実していたし、誰に気を遣う必要もなく、また数日おきに会いに来てくれる人もいたから、例えるならば夏目漱石の随筆「硝子戸の中」のような心持ちで、自由に翻弄されることも少なく、平穏無事に過ごすことが出来た。それに比べて実家のマンションにおける引きこもり生活は、ドストエフスキーの「地下室の手記」のごとく、何かしら病的な雰囲気を纏っており、一日中苦痛を伴うものである。高層マンションであるから、見晴らしは良いし、日中は親は仕事に出払っているので誰に気を遣う必要も無いのだが、かといって気が紛れることは片時も無い。ドストエフスキーは「自意識は病気である」というようなことを言ったが、けだし至言だと思う。何もすることが無いと、頭のなかで常に流れ続ける妄想夢想といった自意識が、日々ごとに心をすり減らしていくのである。

ラッセルは「幸福論」に於いて「退屈こそ拷問である」などと言っていた。私は昔から「理想の生活はソローの『森の生活』のような、ニートのごとき生活である」などと嘯いてきたものの、今ではラッセルにいたく共感する。要するに、「自由」というものは、日常生活における何かしらの「負荷」があってこそ価値のあるものとして輝きを放つのであり、何もやるべきことが無いような時間は「余暇」ではなく、虚無に鞭を打たれ続ける「拷問」に他ならない。ラッセルは「怠惰への讃歌」という著書も残しているが、この本に於いては「仕事」言い換えるならば「負荷」を人生の生き甲斐として位置付けることを否定的に書いてはいるものの、ある程度生活の中に仕事や学問といった「負荷」をおくこと自体は一切否定していない。つまり、ラッセルの言うところの「余暇」は日常生活における「負荷」を前提としているのである。ラッセルは「人生の真の喜びは余暇にこそある」と断言していたが、これは決して「完全なる自由(暇)」のことを言っている訳ではないのだ。或いはエーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」のなかで、人々は「負荷」からの自由を求める一方で、実際に自由を得た途端に、無気力感や孤独感を味わうと言う皮肉な状態に陥ってしまうことを指摘している。この極めて皮肉な現象こそ、まさに私が現在直面している問題なわけである・・・

これまで色々と小難しいことを述べたが、有り体に申し上げると、とにかく猛烈に暇なのだ。暇がこんなにも苦しいものなら、授業を受けることくらい何ということも無いとすら思えてくる。もちろん今でも仕事こそが人生の喜びとは思わないが、やはり人間というのはある程度の負荷があってこそ人間足り得るのであり、そういった連続した負荷のなかに存在する「余暇」こそが、ラッセルの言うように、人間にとって至上の喜びとなるのである。

こういった理由で、完全なる自由を持て余し、苦痛に耐えきれなかった私は、思わず外に飛び出してしまったという次第である。今日もまた、「新しいメガネを買う」という、鬱病の私にとっては考えたくも無いほどの負荷ではあるが、そうは言っても「自由という拷問」を受けのであれば、まだしも救いがあると思い、力の入らぬ身体に鞭を打って、いそいそと外出の準備に取りかかるのである・・・