東京愁情乱行記

怠けることに一生懸命

「徳島~東京 自転車の旅」3月8日

7時に起床し、東横innの朝食を食べた。おにぎりとパン等、相当の量を食べたと思う。出発前に比べて、胃袋がいくぶん拡がっているのだろう。どこかの大学のテニスサークルと思われる一行がおり、私も部活時代のことを思い出していた。試合当日の朝食は必ずご飯とパンの両方を食べるようにしていたから、無意識のうちにこの日もその習慣が出ていたのかもしれない。

さて、10時にチェックアウトし、我々は徳山に向けて出発した。ホテルで一泊したとはいえ、疲労感はあまり抜けてなかった。ふかふかのベッドで寝れるとはいえ、ネットカフェに比べて睡眠時間があまりとれないのは残念であった。

まず、20km余り漕いで宮島へ。広島を満喫した為か、少し気持ちが高揚しており、初日の反省も忘れて、大通ではなく地図上では近道と思われる小道を進んでいった。どう考えても大通を行った方が早く着いただろうが、ちょっとした冒険をしているようで、これはこれで楽しかった。それに、大通は車で混雑しており、体力的にも精神的にもなるべく避けて通りたかった。

近道が功を奏したかは分からないが、宮島へは存外早く着いた。ちょうどよくフェリーに乗船し、宮島へ上陸。私は観光名所よりもとにかく予定通りに事を済ませたいという性分であるし、宮島も写真でよく見ていたから、そこまでの感動は無いと思っていたのだが、これが良い意味で期待を裏切られた。宮島は思っていたよりも観光地として栄えており、厳島神社の景観も圧巻であった。また、名物である「あなご飯」も非常に美味であった。また機会があれば、今度はゆっくり観光したいと思った。ただ、東京でフェリーに乗る前からずっと自転車に貼っていた「徳島」と書かれた紙が、昼食をとっている間に鹿に食べられてしまったのは少し残念だった。

さて、宮島を出発し、徳山へと向かった。正直、この道中のことは殆ど覚えていない。100m超の山が、疲労しきっている体には辛すぎたし、時間も遅かった。峠を越えている途中、「山賊」という店に着いたのはこの日だっただろうか。どうやら有名な店らしく、山のなかで赤提灯が眩く灯り、太鼓や笛の音などが響き、祭りに来たような、異世界に迷い込んだような、そんな気分であった。しかし、春休みということもあって、非常に混んでおり、どの店も満杯であったから、ちょっとした食事を買うだけで終わってしまった。「皇牛」という和牛を食べられなかったのは無念である。

山賊を出発しようとすると、私は自転車の鍵が見当たらないことに気付いた。これは今回の旅で唯一といえる私の失態であった。40分くらい必死になって探し回った結果、店のおばさんが拾っていてくれたらしく、ほっと胸を撫で下ろした。ひょっとするとこの山奥で野宿することになっていたかもしれないと思うと、ゾッとする。友人には迷惑をかけてしまって、非常に申し訳なく思う。

少し手間取ったが、我々はまた徳山へ向けて自転車を漕いだ。しかし、あることが原因で、私はそこからのことを覚えていない。あることというのは、まあ女絡みなのだが、ここで語るのはやめておこう。ともかく、どうにか徳山にたどり着くことが出来た。

「徳島~鹿児島 自転車の旅」3月7日

この日は1日休息に使った。東広島を出発し、広島に着いたのは2時半頃だった。3時前に東横innにチェックインし、それぞれ自由時間が始まった。とにかく空腹であったから、風呂にも入らずに昼食をとるため出発。小一時間商店街を歩き回ったが、ランチが終了している店が多く、なかなか良い店が見つからない。いよいよ空腹が限界を迎えたので、仕方なくラーメンを食べることにした。味はまあ、普通だった。

それにしても、広島の接客はぶっきらぼうで、なんとなく居心地が悪く感じた。慣れればそんなことは無いのかもしれないが…

昼食を済ませた後、ホテルに戻ってシャワーを浴び、まあ色々あって(この話は直接聞いてください笑)友人と合流し夕食を食べに再び外へ。色々と探し回った結果、大衆居酒屋に入り、カキ料理と日本酒を頂いた。これが涙が出るほど美味しくて、束の間の幸福感に浸り、まさしく心が現れるような心地であった。観光というのはこうでなければ、と思った。また、自転車で来ていなければここまでの感動も無かったのだろうと思う。まあ、何で来ようと美味しいものは美味しいのだろうが。

ホテルに戻り、23時にはふかふかのベッドに潜り込み、就寝した。

「徳島~鹿児島 自転車の旅」3月6日(3月8日、11日)

この日記を書いているのは3月8日である。あまりの疲労のため、日記を書く余裕が無かった。旅館を出たのは10時40分頃。しまなみ海道走破を目標に、自転車を走らせた。最初から大きな橋が待ち構えており、眼下にはまさしく絶景が拡がっていた。

 

3月11日。あまりに厳しい旅だったため、日記を書く余裕すらなかった。ここ数日間は、宿泊地に着く前から眠ることばかりを考えるようになっている。旅をして初めて睡眠の価値を実感した。いままで素泊まり5000円に散々文句を言ってきたが、今の我々にとって、快適な睡眠が得られるなら1万円も惜しくない。家が恋しい。とりあえず、6日から覚えている限りのことを書こうと思う。

 

しまなみ海道の距離は約70km。景色が良く、走っていて気持ちが良かったので、4,5時間もあれば抜けられるものと高をくくっていた。しかし、自転車での旅において強敵であるのは雨だけでなはなく、気温、登り坂、そして風である。瀬戸内海の風は思っていた以上に強く、必死に漕いでもなかなかスピードが出せず、なかなか進むことが出来ない一方で、体力はどんどん奪われていく。「尾道まで〇km」と書かれた地面の数字が一向に減らず、精神的にも追い詰められていった。ただ、やはり景色の美しさや、自転車専用道路の快適さもあって、走っていて飽きることはない。道の駅では「マハタ」という魚と海鮮ラーメンを食べた。これが非常に美味しくて、やはり旅の醍醐味は食に尽きると再確認した。なかなか進むことが出来なかった要因は風だけではなく、浜辺で遊んだり、写真をとったりと、我々が遊び過ぎたこともあるのだが。そのくらい、しまなみ海道は楽しかった。

途中、雪が降ったり、あまりの空腹で思考停止状態にも陥ったりもしたが、夜にはフェリーで尾道に上陸することが出来た。大した駅ではなかったが、お好み焼きはそれなりに美味しかった。周りに何もない駅だったので、夕食後すぐに東広島に向けて出発。この行程が思った以上に厳しかった。

峠を越えてから気付いたのだが、ペットボトルのお茶がバリバリに凍っていたほど、この日の気温は低かった。急こう配では自転車を押して歩いた。大型トラックが物凄いスピードで横を通り過ぎ、真っ暗闇の山のなか自転車を漕いでいると、いったい自分は何をしているのだろうと思い、泣きたくなった。ただ、久しぶりに満点の星空を眺めることが出来たのは、唯一の救いであった。

東広島に到着したのは1時を過ぎていたように思う。ネットカフェに入り、ようやく就寝することが出来た。

 

 

「徳島~鹿児島 自転車の旅」3月5日

カラオケを5時に追い出される。雨が止んでいることを期待したが、全く弱まる気配が無い。その上、気温が非常に低い為、とても自転車に乗ろうという気にはならなかった。昨日に比べると幸先の悪い一日であった。

開店前の銭湯の入り口でしばらく雨宿りをし、雨が弱まったら近くのすき家に行くことにした。途中、清掃をしていた店のおじさんが顔をだし、少し会話をした。東京から来たというと、「四国で良いことと言ったら地震が少ないことくらいだ」と田舎であることをやたらと気にしている様子で、いつか東京ドームで野球を観るのが夢なんだと語っていた。なんでも、ジャスコ等の大型ショッピングモールが出来たせいで、商店街が軒並み閉店に追いやられているらしい。たしかに、自転車を走らせていると、車は多いが人は少ないという印象だった。

雨が少しだけ弱まったので、7時にすき家に入り、すき焼き定食を食べた。ここでも卵をテーブルに落として割ってしまうなど、いつもの不注意が旅先でも出てしまい、非常に悩ましく思う。

朝食を終え、我々は今治へ向け出発した。15kmの山越えが心配だったが、大雨のなか必死になって漕いでいると、気付かぬうちに峠を越えていた。コンビニで現在地を確認したとき、この先が下り坂であると知ったときは言葉では言い表せないほど嬉しかった。しかし、下り坂とはいえ、大雨であったから、昨日のような爽快さは全くなかった。

坂を下りきったときには昼だったが、全身がびしょ濡れで気持ち悪かったので、コインランドリーで洗濯をすることにした。靴と自転車も綺麗にすることが出来た。洗濯をしている間に食事を済ませ、出発するころにはちょうど雨は止んでいた。

今治に着いた頃には綺麗な夕日が見え始めていた。特に観光したいところも無かったし、時間的にも少し余裕があったので、今日中にしまなみ海道を越えて広島へ向かおうかと思ったが、思いのほか脚の疲労が酷く、またせっかく景色が綺麗なところなのに夜に渡ってしまうのは勿体ないという結論に到り、しまなみ海道の手前にある宿泊施設で一泊することにした。「風のレストラン」にてパスタ、ピザ、海鮮料理など、今までの旅の中でもかなり豪華な食事をとった。それでも3000円程度だったので、前回の旅でいかに我々が贅沢していたのか分かる。

部屋は10人が寝れるほどの大きな和室であった。手足を思い切り伸ばしても余裕があった。ネットカフェ、フェリー、カラオケと、あまり良い睡眠はとれてなかったので、久しぶりにぐっすりと眠れそうでうれしかった。風呂も広々としていて気持ち良かった。明日からの旅に備えて、今日は存分に体を休めようと思う。

「徳島~鹿児島 自転車の旅」3月4日

今日は今までの旅の中でもベストランと言える内容だった。13時に徳島港を出発し、14時過ぎに徳島駅に到着。徳島ラーメンを食べ、徳島を出発したのが14時50分。三好までは70km、標高は300m近くあったと思うが、19時過ぎには三好に着くことが出来た。70kmを4時間、しかもだいぶん余裕を持って漕ぐことが出来たのは大いに自信になった。平坦な道が多く、信号で止まることが少なかったのが良かった。景色も見晴らしが良く、走っていて心地よかった。ただ、夕食に焼き肉を食べられなかったのは残念だった。(運動すると無性に肉が食べたくなるのだ)

しかし、20時半に三好を出る頃には、パラパラと雨が降り始めた。当初は三好でテントを張って野宿する予定だったが、この雨と気温ではとてもじゃないが野宿は出来ない。まだ体力にいくぶん余裕があった我々は、カラオケのある28km先の四国中央を目指すことにした。10kmの坂は思いのほか厳しく、最後の方は押してしまったが、その後の下り坂は非常に気持ちよかった。

22時半に四国中央に到着し、カラオケを探そうとするも、突然雨足が強まったためしばらくコンビニで待機した。山の中で雨に打たれなかったのは僥倖であった。20分くらい待ったが、一向に弱まる気配が無いので、雨のなかカラオケに向かうことにした。まずは一番近いビッグエコーに行ったが、2時までしか営業していないということで、仕方なく他のカラオケ店を探すことに。1、2kmほど先にまねきねこがあることを知り、再び雨のなか自転車を走らせた。この日すでに100kmを漕いでいた我々の体力はすでに限界を迎えていた。雨のなかヘトヘトになりながらまねきねこにたどり着くと、幸運にもすぐそばに銭湯があったので、久しぶりにくつろぐことが出来た。電気風呂でいくらか足の疲労もとれたような気がした。

0時過ぎにカラオケに入り、もやし炒めなどを食べ、数曲歌った後、1時過ぎに就寝。ソファーの大きさが2人で寝るのに十分でなかった為、私は寝袋に入り、床で眠ることにした。

 

「徳島~東京 自転車の旅」3月3日

昨日、我々がゴミ捨て場に突入しようとしたのは、潜在意識として「自分たちはゴミである」という自覚があったからかもしれない、などというくだらないことを考えるくらい、今日は余裕のある一日であった。大井町のネットカフェを6時50分過ぎに出て、天王洲アイルに到着。余談だが、天王洲は「てんのうず」と読むらしい。地名の読み方は難しい。

さておき、我々は駐輪場から自転車を回収し、一途秋葉原へと向かった。道中、公衆電話からフェリーの予約に成功。昨日のスタンダードフェリーよりも割高ではあったが、何とか旅を続行させることが出来た。明日からの行程を思うと甚だ憂鬱になるが、ひとまず計画通りに動くことが出来そうで安心している。

フェリーに乗った。私が帰省するときにいつも利用している「太平洋フェリー」と同等のものを期待していたが、恐ろしく程度の低いものであった。客船というよりは運搬船といったところだろう。レストランは無く、自販機での食事提供が唯一のサービスといっていい。かといって安いわけでも、美味しいわけでもなく、もちろん量も少ない。フェリーの旅の一番の醍醐味は海を眺めながら風呂に入ることだと思っているが、このフェリーの「展望浴室」とは聞いて呆れる、小さく劣悪なものだった。おまけに揺れが酷く、「くつろぎスペース」なる場所でも、全くくつろげない。あまつさえ、店員(乗務員)の態度は安い中華料理屋を思わせる酷い有様で、目も当てられない。百歩譲ってサービスの劣悪さに目を瞑っても、やはり1万2000円は到底納得できない。この程度の船なら、5000円程度がちょうど良い。まったく、不愉快極まりない。結局、疲労感は抜けず、このまま100kmを漕ぐと考えると鬱々とした心持になる。願わくば雨が弱いことを祈っているが、夜からの降水確率が80%ということを考えると、初日のような凄惨たる行程になることは間違い無いだろう。心底嫌気がさしてくるが、せめて事故を起こさずに一日を乗り切れればと思う。

「徳島~鹿児島 自転車の旅」 3月2日 初日

今日は「最悪」の一言に尽きるだろう。17時までにフェリーの乗船手続をしなければならなかったのだが、いくつかの災難に見舞われて間に合わず、無断キャンセルという形になってしまった。情けない。まず、集合時間を遅らせたことは大いに失敗であった。ただ、早めに集合していたとしても、時間に余裕があるからといって寄り道をしていただろうから、結局着くことは出来なかったと思う。それよりも問題なのは、道を完全に間違ったことだ。最後の望みをかけて必死に自転車を漕いだ先が、通行不可のゴミ捨て場であったときの絶望感は筆舌に尽くし難い。我々は自転車ナビを信じ、大通を進むべきだった。安易に近道をしようとすれば、今日のようなことになりかねない。今後は出来るだけわかりやすい道だけを走行するようにしたい。

本日の失敗の殆どは、我々のみ通りの甘さと準備不足の招いたものだったが、実際、ここまで体力と精神力を削られた最大の原因は雨である。雨の中自転車を漕ぐことの大変さは下田のときに十分味わったつもりだが、私には今日の雨の方が苛酷に感じられた。というのも、下田のときに比べて気温が低い為、脚や全身の感覚が無くなり、低体温症の一歩手前までいくと(加えて我々は極度に空腹状態だった)完全に思考能力が奪われてしまうからだ。残り時間が1時間を切り、電車かタクシーに乗る以外に間に合う手段は無かったのだが、現実的に考えて不可能だったのだから、やみくもに解体して余計な体力を削る必要は無かっただろう。雨のなか自転車を解体する様子は、傍から見ればそれはもう滑稽であったに違いない。

タイムリミットを迎えた我々は、今日はとりあえず天王洲に留まり、予定を一日遅らせることに決めた。しかし我々は明日のことより、とにかく空腹を見た詩、体を温めたい一心であったから、駐輪場の近くに牛角を見つけると迷わず入り、食べ放題を文字通り「食べ放題」した。ちなみに、ご飯(中、大)ねぎ玉ご飯(中)クッパ(大)と、普段からは信じられないほどご飯を食べてしまった。それほど我々は極限状態だったのである。

その後、大井町のカラオケ「コートダジュール」にて雨宿りをし、2時間2350円というトンデモナイぼったくりを経験し、22時からネットカフェに落ち着いた。そこで私は一服しながら、「未確認で進行形」「妹ちょ」「ニセコイ」を鑑賞し、束の間の日常を取り戻した。

些か大仰な表現かもしれないが、今日は戦場に赴く兵士の気持ちの一端に触れたような気がした。というのも、兵士が戦場においていちいち「戦う理由」などを考えている場合ではないのと同様に、自転車に乗る我々もただ無心で走り続けるしかないのである。「何で自転車で行く必要があるのだろう」と考え始めてしまったら、どうしても後ろ向きな気持ちになってしまうし、何より集中力を欠くことは命に関わるのである。

 

明日こそはフェリーに乗り込み、徳島に向かう。晴天であることを願うばかりだ。