東京愁情乱行記

怠けることに一生懸命

母曰く、「あなたは本当に何か障害があるのだと思う」

私は昔から自分が興味のあること以外、集中力が10秒ともたない。

ふとした思いつきで何か新しいことを始めても、3日坊主どころか1日さえ完うすることが出来ないのだ。

それはもう病気とも思えるほどで、中学生のときには、医療従事者である母親に「あなたは本当に何か障害があるのだと思う」と真顔で言われた。(いまだに根にもっている)

母親お墨付きの致命的な集中力欠陥のために、私の人生において、然るが故に発生する幾多のトラブル、特に忘れ物に関しては、たとえば大雨や地震といった、日常的に起こり得る天災のようなものであった。

小学生のときは、パジャマのまま登校したり、ランドセルを学校に置いたまま帰宅して母親を仰天させた。忘れ物を母親に届けてもらったこともしばしばあった。

これぐらいならまだ「ドジっ子なのね、可愛い」と言えるが、大人になるにつれて、そういった注意欠陥はいよいよ生活に支障をきたすほどになっていった。

買い物をすれば、お釣りを受け取った時点で買い物への興味は完全になくなり、商品をレジに置いたまま帰ろうとして、「お客様!」と店員に呼び止められると、「ああ、すみません」と言って、レシートを受け取りまた帰ろうとして、またまた「お客様!!!!!」と呼び止められる。

動もすれば買い物に出かけて、帰ってきたときには何も持っていなかった、なんてことも何度かあった。買い物をした記憶はあるのに、いったいどこに消えてしまったのか、我ながら不思議でならない。

或いは自動販売機でも、お金を投入してボタンを押し、お釣りをとって、肝心の飲み物を取り忘れることも度々ある。

他にも、自転車で出かけたのに徒歩で帰ってくることや、水を出しっぱなしで出かけることも…

まったく、書いていてほとほと嫌気がさしてくるが、では何故私はこうも集中力が無いのか?

…実を言えば、原因はハッキリと分かっている。だって自分のことですもの。

 

実は、平生私は常に何か考え事をしているので、現実に目の前で起きている事象などまったく見えていない。(いくぶん仰々しく聞こえるが、大抵はくだらない妄想である)これは幼少期から現在まで続いている「夢想遊び」という変態趣味であり、まさにこれが私の病的物忘れの元凶なのである。

夢想遊びは、幼いころ長兄による虐めから逃避するためにしていたのがいつの間にか習慣化し、趣味としての変態性を高めていくつれて、ある種の特殊能力とも言うべき技術を習得していった。

他人の「妄想力」を私は存じ上げないが、私の場合、夢想遊びを始めると、想像がほとんど実体に近い感覚で眼前に現れる。調子のいいときには、触ることや臭いを感じることさえ出来る。

言ってみれば、私は現実と虚構、二つの世界を自由に行き来することが出来るのである。

昔からよく「どこを見ているのか分からないから怖い」と言われることがあったが、それは私が目を開けていながら、視線の先にあるものとはまったく別のものを見ているからなのだ。

とどのつまり、現実世界において私に集中力が欠けているのは、「より強固な妄想世界を作りあげることに集中力を使っているから」と言えるだろう。 

 

私の妄想力に関してはまた今度語るとして、この「夢想遊び」は将来的に真人間になるためには出来れば治した方がいいのだろうが、昨日のようなひどく寒い日に震えながら家に帰ると、消し忘れた暖房が部屋を暖めていたときなどは、まあそんなに悪いことでもないのかな、と思ったりもする。