バレンタインデーの思い出
昨日、閉店セール中のダイエー立川店で買い物をしていると、一人の女の子が何やら深刻そうな表情で佇んでいるのを見かけた。
年の頃は10歳ばかりだろうか。
どうやらバレンタインデーのチョコを選んでいるらしく、あれこれと商品を手に取っては首をかしげて棚に戻し、恋い慕う相手の為に随分と思いつめているように見えた。
もうすぐ23歳になる僕は、そんな微笑ましい光景に目を細めながら「汚い手で商品をやたらに触りまくるのはマジ人としてどうなんだろう」なんてことを思っていると、少女のお眼鏡にかなう逸品が見つかったらしく、それまで腐ったアボガドのようだった顔がぱあっと明るくなり、まるで焼き鏝を肛門に押し付けられた豚のようにてんてんと飛び跳ねながら、レジに向かって駆けていった。
買い物を済ませて外を歩きながら、そういえば自分が小学生だったときのバレンタインデーはどうであっただろうと思い返していると、ある悲しい事件の記憶が鮮明に思い起こされた。
僕が小学5年生のときのバレンタインデーのことである。
僕の母校では、授業が終わるとただちに「帰りの会」が始まる。
「キーンコーンカーン」というお馴染みのチャイムは鳴らない。
生徒ひとりひとりが時計を意識して、チャイムに頼らず臨機応変に行動する習慣をつける為である。
だから、時間にかかわらず日直が「さようなら」と言えばそれが放課後開始の合図であり、担任が適当な先生であるクラスほど放課後が始まるのが早かった。
僕のクラス担任はあまりに適当な先生だったので、その日もいつものように他のクラスよりも早く放課後が始まった。
しかし、クラス全体がなんとなく色めき立っていて、皆なかなか帰ろうとしない。
小学生とは言っても男子と女子、恋の一大イベントに浮かれていたのだろう。
とはいえ、ほとんどの男子はチョコを貰うことなんて無かったし、したがって女子がチョコをあげるということも少なかった。
僕も当時は「キノコヘア野郎」という印象が強く、まったくモテるわけではなかったので、バレンタインデーが来るたびに憂欝な思いをしたものだが、この年だけはいつもと違った。
ひとり教室に残っていた僕は校舎裏に呼び出されることになったのである。
ただ、相手は隣のクラスの男であった。
校舎裏に行くと、友人が待っていた。
ホモを期待していた方、申し訳ないが、どうもそういう話ではないらしい。
彼が言うことには、「クラスの女の子にチョコとマフラーを渡したいと言われたが、自分はどうしても貰いたくないので、代わりに貰ってきて欲しい」ということだった。
当時からだいぶ頭がおかしかった僕からしても、まったく意味が分からないお願いであったのだが、それでもやっぱり相当頭がおかしかったので、「じゃあ2人で貰いに行こう」ということになった。
それは言ってみれば「童貞が大して好きでも無い女の子となし崩し的に付き合ってしまう現象」と同じように、たとえそれが本命でも義理ですらもない、全く俺のために作られたものではないチョコであっても、女の子の作ったチョコであればもはや何だって良かったのだった。
指定された場所に着くと、僕を見た女の子は怪訝そうな顔で「何でいるの?」と言った。
言われてみれば、まったくその通りである。
せっかくの神聖な告白の儀式に、呼んでもいない男が「僕もついでにチョコもらいにきましたけど」みたいな顔をして立っているのだから、厚かましいことこの上ない。
ようやく己の過ちに気付いたが、いまさら引き返すわけにもいかない。
かと言って、チョコを貰いに来たとも言えないし、よく考えたらこの女の子のこと反吐が出るほど嫌いだから貰っても全然うれしくない。
哀れな僕は、なんとか自分だけは助かろうと必死に言い訳を考えていると、友人は意を決して「ごめん、俺、チョコもマフラーもいらないから」とハッキリと女の子に伝えた。
その瞬間、僕は「よくぞ言った!」と胸がすく思いがしたが、女の子が悲しそうな表情をするのを見てふと冷静になると、「いや、お前の為に作ってきたんだから、もらってやれよ」と思わなくもない。
女の子はしばらく俯いて黙っていたが、はたと顔を上げると、「せっかく作ったのだから、どちらでもいいからもらって欲しい」と言った。
僕はなんだか女の子が気の毒に思えてきて、もし友人がどうしても頑なに拒むというなら、僕がもらってあげてもいいかなと思い始めた矢先、あまりにも鬼畜な僕の友人は、「じゃあ、じゃんけんで負けた方がもらってあげるよ」と言った。
流石の僕も耳を疑った。
それはあまりにも可哀想ではないか。
想いを込めて作ったチョコとマフラーが、目の前で罰ゲームのように押し付けられ合っているのである。
たしかに好きでも無い相手から突然手編みのマフラーを貰うのはクッソ気持ち悪いが、それでもこんな扱いをするのは男として品位に欠けやしないだろうか。
僕が逡巡していると、女の子は寂しそうな表情で、「それでいいよ」と言った。
そうして、女の子が大好きな人の為に作ったチョコとマフラーはジャンケンによって押し付け合われ、あまつさえ僕がジャンケンに負けたものだから、まったく好きでもない「キノコヘア」の手に渡ることになってしまった。
女の子はジャンケンに負けた僕に黙って袋を差し出した。
しかし、涙を堪える女の子に「ありがとう」なんて言えるはずもなく、罪悪感に苛まれた僕はチョコを受け取ることなく、全力でその場から逃亡したのであった。
その後、仕方なく友人がチョコを受け取ることになったそうだが、友人の母親に全部食べられてしまったらしい。
女の子と友人はその後ほとんど関わらなくなり、こうして「バレンタインデーチョコレート争奪じゃんけん事件」はひとまず幕を閉じたのであった。
今思い返してみても、やっぱり女の子には本当に酷いことをしてしまったなと思う。
心の底から反省しているので、もし今度誰かにチョコを頂ける機会があれば、ありがたく頂戴したいと思う。
まあ、チョコは嫌いなんだけど。