東京愁情乱行記

怠けることに一生懸命

「徳島~東京 自転車の旅」3月9日

徳山を出発し、下関へと向かう。この日も100km近く進む予定だったので、気合は十分に入っていた。余談だが、初日の徳島港から三好までの走りがかつて無いほど良かった為、我々は気合を入れて漕ぐことを「三好ラン」と呼んでいた。この日も、「三好ラン」をしようと意気込んでいたのだが、残念ながらそう上手くはいかなかった。

「山口」とはよく言ったもので(実際の由来は知らないが)道中は延々と山と畑が続いていた。手を抜いては知っているわけではないのに、全然進んでいる実感が得られないのである。同じ景色が何時間も続いていたことが原因だろう。畑の横をひたすら走り、山を抜けると、また畑があり、向こうに山が見え、その山を抜けるとまたその向こうに山が見えてくる…この繰り返しであった。友人がポツリとつぶやいた「マトリョーシカかよ」というのは蓋し至言である。大小はあれど、似たようなものが続くのだから。あまりにくだらないので口にはしなかったが、私は心のなかで「マトリョーサカ(坂)」という単語を生み出した。今夏に計画している北海道旅行のことを思うと非常に不安である。

あまりに見通しの見えない行程であったから、とりあえずの目的地として「ドライブインみちしお」を目指すことにした。天然温泉ということを知り、我々は大いに期待していた。

明らかに自転車は通ってはいけない道をひたすら走り(故意ではないが)何とか到着することが出来た。温泉は、何と言うか、期待していた「温泉宿」という感じではなく、どちらかと言えば大衆向けの銭湯といった雰囲気だった。温泉に入った後は食堂でカツカレーと貝汁を食べたのだが、金髪の怖い兄さん達が騒いでおり、あまり落ちけなかった。

時間も遅かったので、そろそろ下関に向けて出発しようかというとき、友人が体調不良を訴え始めた。この日のうちに下関に着かないのはかなりの痛手だったが、雪や豪雨に見舞われるなか、風邪も引かずに走り続けてきたことの方が奇跡といっていい。やむなく、我々は下関行きを断念した。

かといって、周囲には今から泊まれそうな場所は無く、とりあえず23時までは温泉内のリラクゼーションスペースで仮眠をとり、温泉を追い出された後、警備員の方に事情を話して、店の前でテントを張らせてもらうことにした。

まあ一晩くらいはなんとかなるだろうと高をくくっていたのだが、マットも敷かずにコンクリートの上で寝るのは想像以上に難儀であり、その上ネットで買った安物のテントが夏用のオープンタイプで風通しが非常に良く、夏であればそれでもいいのだろうが、外は真冬並みの気温で雨も降っていたし、おまけに小さなテントだから満足に脚を伸ばすことも出来なかった。これでマトモに寝られる方が異常なのだ。

そんな劣悪な状況でも、疲労のあまりに寝袋にもぐりこみ目を閉じると、すぐに眠ることは出来たのだが、夜中に何度も寒さで目が覚めた。友人と喧嘩するという悪夢も見た。3度目くらいに目を覚ましたとき、「このままでは確実に死ぬ」と直感した私は、救急用サバイバル毛布を取り出し、身体に巻きつけた。よく考えれば、オープンになっているところにそれをかぶせれば風を遮断出来たのだろうが、そんな思考能力は残っていなかった。

そうして死んだように朝7時まで耐えた後、朝風呂に入り、友人の体調もいくらかマシになったようなので、下関に向けて出発した。